箸にまつわる、大きな物語と、小さな物語。
日本人が初めて持った箸は、「竹製」だった。
私たち日本人は、いつから箸を使うようになったのか。東アジアを中心に広く用いられている箸。中国や韓国では、スプーンとセットになっているのに対し、食事に際して「形状の変わらない、ただひとつの道具」であり、使いやすさを追求して箸先を細く尖らせ、自分専用の箸を持つのは「日本人だけ」であることをご存知だろうか。
使い方に数多くのマナーとタブーが存在し、「箸の使い方に育ちが表れる」など、食文化を超え「箸の上げ下ろし」レベルで、日本人に浸透している「箸」は、弥生時代末期に日本に伝わった。当時は「折箸」という細く削った一本の「竹」をピンセットのように折り曲げたものだった。
日本人の食に対する美意識を「箸先」に宿した道具。
竹かんむりを戴き、「集める」を意味する「者」を据えた「箸」。長い間、私たちが竹箸を愛用してきたことを示すように、日本人は暮らしの中で身の回りの持ち物に対し、繊細な感覚や美意識を磨きながら使い、共に生きてきた。
箸先を汚していいのは五分(約1.5cm)から一寸(約3cm)まで、という「箸先五分、長くて一寸」を「先端3cmが、箸の命」として、カタチにした商品がある。京都の老舗、竹工芸の「公長斎小菅(こうちょうさいこすが)」の竹箸だ。
京文化に磨かれ、モダナイズしていく「竹工芸」の伝統
1898年、東京・日本橋にて創業した竹工芸の老舗「公長斎小菅」。日清戦争が終わったものの、依然きな臭いムードの漂う東京を離れ、さらなる伝統文化とのかかわりを求めて京都に本拠を構えた。華道・茶道・香道といった三芸道をはじめ、数々の文化が発展した有史以来の日本の「みやこ」である。日本各地で減少しつつある「竹工芸」の意匠をつねにモダナイズし、繊細な技術を守り続けている。
「手の感覚」を最優先するためのミニマルデザイン。
丈夫で粘り強い竹は、箸にも適した素材。さらに、軽く持ちやすいのも、毎日手にする道具としてあつらえ向きである。「公長斎小菅」の「みやび箸」は、小さな米粒もつかめるように箸先を丁寧に細く仕上げ、手の力が伝わるようにバランスをとっている。この食事にまつわる「手の感覚」は、日本人が箸を“身体の一部”と捉え、「つまむ、はさむ、押さえる、すくう、裂く、のせる、はがす、支える、くるむ、切る、運ぶ、混ぜる」など、すべてを箸ひとつで行うために大切にしているものだといえよう。
「マイ箸」文化を育んできた日本ならではのアイテムが、箸ケースだ。子どもの頃によく使ったスライド式の箸箱、伝統文様の布で包む箸袋。自分の道具を持ち歩くためのものにも、一定のこだわりを持つ人も少なくないだろう。
「箸ケース」は、竹の集成材を使い、箸を固定できる最小限の空間をくり抜いた、わずか1cm厚のスリムなデザインに仕上げた。“どれだけミニマムにつくり上げることができるか”というコンセプトから出発したプロダクトは、内部に凹凸を設計して被せ式の収納ケースとなった。ケースを固定するための凹凸が、隙間なく合致するのは、竹のものづくりに習熟した職人が一つひとつ丁寧につくり込んでいるから。「箸ケース」の表面に存在するのは、開け口となる上部のツメだけ。根竹をあしらったバンドをつけることで、デザインが完成する。
私という存在を表現する「日本の箸」。
東アジア一帯に広がる「箸食」も、それぞれの地域の食文化に合わせて、さまざまな文化的差異があるように、箸そのものにも違いがある。材質、形状、長さ。しかし、「夫婦箸」という男女の差異を色と大きさで表現し、成長に合わせて長さを変える「子ども箸」など、パーソナルな領域にまで踏み込んでいるのも、日本独特の習慣だ。
子どもの頃、苦手だった食材が食べられるようになり、好きじゃなかった“茶色い料理”が愛おしくおいしく感じられるようになるのも、使う箸の変遷と“同期”しているのかもしれない。
小ぶりな竹箸と、小さな物語を紡いでいく。
かつては、祭祀・儀式で熱い食物を神に捧げるための神器だった竹箸。箸食は、日本の素晴らしい「伝統文化」であり、「正しい作法」で「きれいに食べる」のがよい。確かにそうかもしれない。が、私たちは箸という文化が持つ“大きな物語”に惑わされてはいないだろうか。口当たりがよく、食感を妨げない「竹」という素材。箸という食べ物を運ぶ道具の「使いやすさは、食べるひとのため」という「公長斎小菅」のシンプルなものづくりが、大きな物語からパーソナルな領域に、“箸”渡ししてくれる。
箸を上手に使えるようになるまで時間がかかったことや、しゃべりながら食べているうちに箸を噛み折ってしまったこと。自分という“小さな物語”に、「おいしく」食べるという工夫を添えて。この箸を使って、「自分を大切にする」という“マイ箸・習慣”を手に入れよう。