「リアルっぽい」日常にこそ存在させたい、
リアルを封じ込めた「樹脂標本」。
日本の「旬」を表現する、国陽工芸の樹脂標本。
「旬」という言葉がある。旬を迎える前は「初物」を喜び、過ぎてしまった後は「旬外れ」と名残惜しむ。旬を英語にすると「the best season」「もっともよい季節」と翻訳できるが、「四季」のフィーリングがこぼれ落ちたような語感が残る。
「ない」季節にも、旬を想いながら旬を愛でるのは、日本人ならではの心性なのかもしれない。
日本人の生活を彩っていた「旬」が失われつつあるといわれ久しいが、写真のように「旬」を切り取り、まるでタイムカプセルに封じ込めたようなプロダクトがある。「国陽工芸(こくようこうげい)」の樹脂標本だ。
“鮮度”をも維持する国陽工芸の標本技術。
“博物系”と呼ばれるリアリティを強調したプロダクトが人気だ。さまざまな生き物や鉱物が主役級の扱いを受け、工業素材を組み合わせた“プロダクト”に変身している。「国陽工芸(こくようこうげい)」の昆虫たちは、透明のキューブに閉じ込められていることで、むしろよりいっそう“儚さ”を感じさせる。
昭和46年に開業した「国陽工芸(こくようこうげい)」は、植物・動物・鉱物の透明樹脂標本を製作し、全国各地の博物館・水族館・植物園に展示されてきた老舗の「標本メーカー」。研究機関の教材としての役割を担う、“アカデミックな”ものづくりがメインだ。日本の風物詩、桜の花やアジサイなど、まさに旬を感じさせる花々や、ドライフラワーとして保存できない花々を透明な樹脂の中に封じ込める、独自の技術を有している。
これまでにも東京の桜が、「国陽工芸(こくようこうげい)」の手により合成樹脂の中に封じ込められ、駐日アメリカ大使に寄贈された。
現場に立ち会い「生きていた」事実を標本にする。
「それ、そのもの」を使い、透明な樹脂標本をつくり上げる「国陽工芸(こくようこうげい)」は、山登りが趣味だった創業者の「(採取した)山野草を美しいまま保存したい」という想いから始まった。そのものづくりは、素朴な山野草から世界最大級の無脊椎動物「ダイオウイカ」にまで広がり、現在に至る。創業者の甥である現代表・井室隆氏は、研究者たちとともに生き物の採取のため、日本中を駆け回る毎日だ。
樹脂封入を行う職人の顔も持っている井室氏。採取に出かけるのも「生きている様子や、採取した場所の状況を見て理解しておかないと、封入するときに形をデザインできない」から。本物が封入されているだけではない、井室氏は「生きていた」という厳然たる事実も、とじ込めているのだ。
未知の生物と向き合う、国陽工芸の標本づくり。
この地球上には、多様な生態系の中に約175万種もの生物が存在するという。この極東の小さな島国・日本にも、わかっているだけでおよそ9万種、分類されていないものを含めると30万種を超えると推測されている。「国陽工芸(こくようこうげい)」の主戦場である研究機関との現場では、「研究対象」としての生物を扱うため、「毎回初めての(動植物の)種類ばかり」だという。それだけに、限られた数を封入する作業は、常に「失敗できない」緊張を伴う。だが、研究者の探究心と井室氏の繊細な手仕事により、私たちは標本という形で生き物を手に取り、普段目にすることのない角度から観察することができる。
生物の多様性に磨かれた、透明な樹脂。
植物、海藻類、魚類、菌類、コケ類、昆虫類、爬虫類、その他鉱物や土まで、「国陽工芸(こくようこうげい)」の守備範囲は実に幅広い。それぞれに合った乾燥方法で固定し、樹脂を流し込んで、ゆっくりと熱を加えながら硬化させる。固まるまでおよそ4日もの時間を要するという。完全硬化を確認後、型から抜き出し4段階の研磨を行う。最後にポリッシャーを使い、合成樹脂につやを出す。すべてが手作業によるものづくりだ。「毎回初めて」出合う生き物に対峙し続ける井室氏には、たとえ同種の生き物だとしても「それぞれ異なる」という“Individual”のまなざしがある。
「リアルっぽい」イメージに溢れた日常と、リアル。
スマートフォンが手放せない日常は、SNSのチェックから始まる。アルゴリズムによって選別された「見たいモノ」が、タイムラインに濁流となって押し寄せ、私たちはイメージを飽食している。デジタル時代のいま、重視されるのは画像の先にある「現実」よりも、受け取り側が判断する「リアルっぽさ」だろう。目の前の感動が、二次的イメージに加工され、「いいね!」の共感を得てはじめて、体験の「1パッケージ」が完成する。私たちの感受性は、もはや「本物」を必要としていないのだろうか。私たちが美しいと感じる源泉を辿るなら、自然界に行きつくだろう。「すべての芸術は自然の模倣である」古代ローマの哲学者、ルキウス・アンナエウス・セネカの言葉である。
死生観を映し出さない、「標本」というアート。
現代アートが、かつてないほどの注目を集めている。現代アートにおいて最も重要な人物の一人といわれる英国現代アート作家、ダミアン・ハースト。縦に真っ二つに切り分けた本物の牛と子牛をガラスケースに入れ、ホルムアルデヒドで保存した「Mother and Child devided」など、「本物」を使った作品を発表して一躍有名となり、アートによって生と死を立ち上がらせた。
一方で、動植物を「タイムカプセル」のように保存し、「かつて~だった」という今は「ない」姿を、死生観を外した視点から眺める「標本」というプロダクト。そして経年により日焼けや色褪せが発生してもまた「アンティーク」として愛用するという、自然のなりゆきに身を任せる日本的感覚。どちらが正しいということはない。だが、「国陽工芸(こくようこうげい)」の樹脂標本を所有することは、「リアル」を封じ込めた博物館クラスの標本とともに、「モノの見方」を手に入れることを意味する。