私たちは、「好き」という自家中毒に陥っているのかもしれない。
装いをフラットにしてくれる「ゴム×アクリル×アルミ」のイヤリング。
女性と、記録的猛暑と、ミニマルデザインのイヤリング。
全国各地で“観測史上最高気温”を記録した夏。この猛暑の中、あるブランドのイヤリングが局所的かつ爆発的に売れた。“お洒落もへったくれもない”、そんな異常な暑さをものともせず、女性たちの購買意欲を刺激した理由は、どこにあったのだろうか?
「acrylic」(アクリリック)。マークスタイルトーキョーでは、つねに一二の人気を争う『バッグブランド』と認識されているかもしれない。「acrylic」は、自身でデザインも手掛ける坂雅子氏が、アクリルという素材への愛着から名付けたブランドだ。現在では、縦横無尽の素材選びと、装飾性をそぎ落としたミニマルデザインの『バッグ』が人気を博している。「ブランドの中ではもっとも実験的なイヤリングが、ここにきてまさか」と坂氏も首をかしげる現象だった。
付ける人の個性を引き立たせる、幾何学と産業資材。
「acrylic」のアクセサリーラインは、坂氏が「装飾するための『材料』を提供しているだけ」という“もっとも「acrylic」らしい”幾何学的なデザインが特徴だ。一見、同じ“エッジ”を感じさせるバッグラインは、産業資材を巧みに扱ったミニマルデザインはもとより、その使いやすさと耐久性が支持されている。顧客たちの要求を受け止め、坂氏がデザインに落とし込んでいるからだ。翻ってゴムイヤリングは、耳たぶに挟むだけという「基礎システム」に、さまざまなパーツを組み合わせ、カスタマイズを楽しむものである。円や正方形など、“いわゆるデザイン”を放棄したかのようなミニマリズムは、一見するときわめて個性的であり、幾何学形状ゆえの“殺伐とした”不変性も、垣間見える。
が、「パーツに個性があるのではなく、だれがつけても違って見える『自由』を『幾何学が』与えている」と坂氏。長年愛用する顧客も「ほかの人がつけているところを街で見かけても、嫌な気持ちがしない」と評する。一部のミニマリストが愛し続けてきたイヤリングの、「(する人の)個性を尊重する」という実力が次第に認知され、広がった。そしてECショッピングモールのランキング結果を見た「人と同じモノを持ちたい」という慎重派のフォロワー層にも届いたのかもしれない。
「飾るとは?」「装うとは?」への新しい解答。
「装飾する」というアクセサリーの本分に、産業資材と幾何学を持ち込んだ「acrylic」。ハイジュエリー・メゾンからクラフト工房、ジュエリー作家まで、だれひとり照らすことのなかった角度から、女性の、人間の《個》に光を当てた。有史以前より貴金属や宝石が、女性を飾り立ててきた。21世紀に入って20年を迎えようとしている今、日本の女性たちは気づき始めている。「装う」という欲求がどこからくるのか。そして、現代で装うことの複雑さを。必要なのは「私という《個》」との向き合い方、だということを。
デザイナーでありながら、自身の役割は「素材選び」にあるというスタンスの坂氏。「産業資材は、ある目的を持って開発されているので“ブレがない”素材。加えて幾何学的な形状に仕上げることで、むしろ内面を映し出します」と語る。 “雰囲気のある”デザイン、“風合いのいい”素材など「有機的」な成分が、《個》を魅力的に見せるとは限らないのだ。
「どんな素材でも、女性を魅力的に見せられる」
数式を感じさせる「幾何学」と、逆説的に色彩を意識させる「モノトーン」を基本とする「acrylic」。つねに新しい産業資材を発掘し、デザインの主役としてキャスティングする坂氏のクリエイティブ・リソースは、建築をバックグラウンドにした知見と好奇心、引き寄せるアンテナだ。
アクリルの中にハニカム構造をとじ込めた 「Gum earringプラスHoney-comb」は、構造体の中で“くすぶっていた”ハニカムを耳元で輝かせた。また、「素材が素材を呼ぶ」こんな言い方もできるかもしれない。「acrylic」のバッグに使われているソファの張地「レンズ」が縁を結んだ新素材は、どの角度からでも柄が立体的に見える「3Dプリント加工」を施したもの。坂氏が「どこから見ても大丈夫」と、女性たちにメッセージを送っているかのようなイヤリングパーツだ。その不思議な見えがかりは、 マークスタイルトーキョーの店頭でぜひご確認いただきたい。
フラットな自分を映す鏡、自分をフラットに見る鏡。
20世紀初頭のモダニズム文学において、またイギリス文学界において、最重要人物の一人として上げられる、ヴァージニア・ウルフ。「女性でありながら」さまざまな実験的手法を試み、幻想的な筆致で描く感性豊かな世界は、今もなお斬新な魅力にあふれている。「もし女性が小説を書こうと思うなら、お金と自分ひとりの部屋を持たねばならない」。こう始まる彼女の名エッセイ「自分ひとりの部屋」には、こんな一節がある。
《過去何世紀にもわたって、女性は鏡の役割を務めてきました。鏡には魔法の甘美な力が備わっていて、男性の姿を二倍にして拡大して映してきました。その力がなければ、たぶん地球はまだ沼地とジャングルのままでしょう。》
誰かを映し、自分の《個》を隠すことを『内面化』してきた女性が、いま自分自身を発見しようとしている。鏡に映った自分は、どんな姿だろうか。自分を探しすぎて「好き」のカタマリになってはいないだろうか。《個》を隠すために、鏡を見てはいないだろうか。「acrylic」のゴムイヤリングは、毎日使うことのできる優しさを備えながら、自分をフラットに見ることができる、《鏡》でもある。